2020年のノーベル物理学賞
2020年のノーベル物理学賞は、ブラックホールに関する研究で顕著な貢献をした3名の科学者が選ばれました。この発表を聞いたときの、TMT関係者の驚きと喜びはとても大きなものでした。ブラックホールの観測は、TMTの重要な科学目標の一つですし、受賞者の一人であるアンドレア・ゲッズ博士は、その検討に深く関わっているメンバーの一人なのですから。
受賞者のうち、アンドレア・ゲッズ博士と ラインハルト・ゲンツェル博士は、私たちの銀河系の中心にある巨大ブラックホールの観測を長年にわたって続けています。具体的には、ブラックホールに引きつけられた周囲の星の軌道(位置がどのように変化しているのか)を調べるのですが、そこで鍵となるのが、大口径の望遠鏡と補償光学と呼ばれる技術です。両者の組み合わせによって、銀河中心のような混み合った領域で星の位置を精密に測定するための高解像度が実現できるのです。
ゲンツェル博士は、チリにある口径8メートルのVLT望遠鏡、ゲッズ博士は、ハワイにある口径10メートルのケック望遠鏡で、ブラックホールの周りの星々の位置を精密に観測しました。二つの望遠鏡による研究は、その成果を競い合い、そして互いに検証しあうことによって、進んでいったといえます。それぞれの望遠鏡で使われる補償光学も、その間に、様々な進歩をとげました。研究者達は、より高い精度を実現するために技術開発を競い合う一方で、情報交換や共同研究といった交流も盛んに行なわれています。
私(早野)個人としても、今年のノーベル物理学賞のニュースには大きな驚きと同時に因縁めいたものを感じました。なぜなら、5年ほど前まで、私はハワイ観測所のすばる望遠鏡のための補償光学を開発していて、ケック望遠鏡の補償光学グループはよく知っています。もしかすると、すばる望遠鏡もこの成果に関われたかもしれません。でも、ケック望遠鏡でやっているし同じことをしても仕方がないな、程度にしか考えていませんでした。今から思えば、チャンスは近くにあったのにという悔しい思いが少しあります。ただ、同じ補償光学に関わったという意味ではとても嬉しく励みになります。そして、現在はまさにTMTの近赤外線撮像分光装置 IRIS の開発を進めています。人生、何があるかわかりませんね。
8~10メートルクラスの巨大望遠鏡と補償光学の登場によって、太陽の400万倍もの質量をもつ巨大ブラックホールが私たちの銀河系の中心にあるということが明らかになりました。次世代の超大型望遠鏡 TMTでは、IRISと補償光学によって、ブラックホールにさらに近い星々の運動を調べることが可能になります。そこから得られる知見について想像したときの心踊る思いをかかえて、IRISの開発を進めています。
すばる望遠鏡、ケック、ジェミニがたまたま同時に天の川銀河の中心に望遠鏡を向けていた場面。補償光学のガイドとなるレーザーが銀河中心に向けられています。このときケック望遠鏡では、今年のノーベル物理学賞に選ばれたGhez博士らが観測していました。(2014年5月撮影 ©Dan Birchall/NAOJ)
早野裕 (TMTプロジェクト IRIS-J マネージャー)